元気を出せよ

元気を出せよ
この先に幸せが待っているかなんて誰にも分からない。
それでも自分の歩むべき道に、
ひとつひとつ石を置いて行きながら前に進もうよ。

今、読んでみたい本

 
エルサレムのアイヒマン
悪の陳腐さについての報告
ハンナ・アーレント (著)   大久保 和郎 (翻訳)
みすず書房


新版が発売されているらしい。
この本は高いけれども今、絶対に読んでみたい。


 アイヒマンはナチス時代に、
収容されたユダヤ人の殺害命令を下したホロコーストの中心人物だ。
彼の行為は残忍・悪魔的であることに間違いない。
しかし・・、
もし自分があの時代のアイヒマンだったとしたら
「彼と同じ行為は絶対にしない」
なんて言えるだろうか。
彼はとても生真面目な性格で、
家庭においては子煩悩の優しい父親だったらしい。
幸せな家庭こそが彼にとって1番の幸せな時間だった。
器用でもなく才能に恵まれていたわけでもない彼は、
ドイツ軍人として国を愛し責任感も強く、
上官の命令を忠実に守り実行することが自分の債務と感じていた。
辛いこともたくさん耐えて仕事において認められ社会的な地位を築いたのだ。
世界中が社会ダーウィニズムの思想に染まり
「ユダヤ民族こそが世界の元凶である」
という『属性』によって人間の価値を決定する空気が蔓延していた。
人々は熱狂し、考えることすらしなくなり、
その空気こ染まることこそが正義であると狂信し、
ヒトラー総統こそが来るべき生けるキリストであり、
皇帝ナポレオンでもあり、
絶対精神そのものである。
ドイツ国家こそが
「人民の人民による人民のための聖なるパラダイス」
と信じていた。
ナチス党幹部はヒトラーの使徒でもあるという誇りもあった。

「もし私がホロコースト最終決着の命令を実行したならば、
神聖なるドイツ国家にとっても大きな益になり、
絶対精神でもあるヒトラー総統は大いに喜ぶに違いない。
命令に逆らうことは信条においても絶対にできない。
家族の幸せもナチスあってこそなのだから・・。
もし命令には従わないと言ったら、
その時点で大切な私の家族が危険な目に遭うかもしれない。
自分一人だったら反対して公にNO!ということもできる。
しかし家族のこと妻や子ども達のことを考えるとそれもできない。
苦しい・・」
おそらくそんなことを何度も脳裏に浮かべていたのだろう。
家族の幸せを守るためにという理由を第1として
恍惚的な使命感と共に命令を遂行した彼アイヒマン。
自分も彼だったら同じことをしていたのではないだろうか。

彼の心中は不条理を遂行する葛藤も強かったのだろう。
あえてユダヤ人全てを数字化し、
その数字ひとつひとつについて考えることを自ら停止した。
思考停止しなければ生きていけない。
一切の感情を殺さなければ先に歩めないのだ。
彼自ら彼の中に存在していた人間的な感情を抹殺した結果、
「ユダヤ人は家畜であり悪である。
殺しても罪にはならない。
何故なら人ではないのだから」
と自らを洗脳させた。
彼の脳はいつしかホロコーストの記憶を彼自身から消してしまった。
しかし自分が行ったことに対して人はいつか向き合わなければならない。
それが彼にとってエルサレムでの裁判だった。
人間は使命感や恐怖心が強まると自分の良心の声が聞こえなくなる。
56歳で彼の生涯は終わった。

「自分は彼のようにならない。彼は悪魔であり死刑囚だ」
と思い込んでいる私やあなた自身も、
実はアイヒマンと同じ弱さを持っているのだ。
実際にその人間と同じ立場・感情・気持ち・環境・状況等に立たない限り、
高台から遠方を見学する感覚で眺めている限り、
真面目で冷静沈着な彼が何故、狂気に荷担したのか決して分からないだろう。
私とアイヒマンそしてあなたとアイヒマンは、
立場・感情・気持ち・環境・状況等も全く異なる。
しかしそれでも同じ人間としての弱さを持ち、
それを自覚するしないにも関わらず、
誰もが「アイヒマン」すなわち
「陳腐な悪」そのものになってしまうのである。

哲学者須藤凜々花さん

 哲学関係の本は観念のイメージトレーニングにもなる。しかし読んでると眠くなったり疲れてしまう難点がある。現在読んでいるハイデカーについての本も新書にかかわらず眠くなる。意味が分かるところだけ読み頭に入らないページは読み飛ばしている。固い内容につまずくと柔らかいものを読んでみたくなる。

漫画はたくさん読んでいるが、
せっかくだから購入して読んでいない本の中から

『人生を危険にさらせ!』
(須藤凜々花・堀内進之介共著) 幻冬舎
という哲学対談本を選んだ。

とってもよかった。
メインの著者は二十歳の女の子なのだ。
人気アイドルグループのメンバーでもある。
そんな女の子と一緒に哲学している気分を味わえる本なんてなかなかない。
彼女にとってニーチェとの出逢いは人生の一部になるほどのものだったようだ。

自分も二十歳の頃は、
高校の時の「倫理・社会」の資料集や「聖書」を通して哲学者達の「人と思想」に触れた。
青春時代は、
悩みの中で見いだした先人達の言葉にたくさんの勇気を与えられた。

哲学とアイドルはイメージ的につりあわないように見えるが、
彼女は
「将来は哲学者になりたい」
と答えるほど哲学者達の思想を愛し
「自分という存在」
をもっと高めたいと思っている一人の人間なのだ。
(哲学者と言っても哲学では飯が食えないのが現実だから、
将来の職業と言うことで『哲学者になりたい』と答えているわけではないだろう。
『哲学者』と答えた時点で既に彼女は哲学者なのだから)

哲学者も人間である。
性格も異なるし生まれた環境だって異なる。
聖人とは限らない。
むしろそれとは真逆な人生を送った哲学者もたくさんいる。
しかし、
真理を求めて悩み苦しむ姿勢は彼らに共通することでもある。

この不条理の世の中に苦しみや悩みを体験したことのない人間がいないように、
苦しみや悩みを体験したことのない哲学者はいない。

人間は誰でも、
悩みや苦しみを体験しながら、
それを乗り越えて
「一人の哲学者になって行く」
のだ。

(実はこの本を購入して1週間も経たないうちに、
彼女があるテレビ番組の生中継で突然
「結婚します発言」
をしてしまった。
その結果パッシングを浴びせられたことは記憶に新しい)

結論を言うとこの本はとても面白いし、
一緒に哲学する時間を共有できてとても楽しかった。
ハッとさせられる気づきもたくさんあった。
もっと続きが読みたいと思ったほどである。

彼女から問いを引き出し対話をしていく大学教授の誠実性も感じる。
例えば、
正義についての対話では
『ウルトラセブン』(ノンマルトの使者)や、
『ウルトラマン』(怪獣となってしまった人間ジャミラ)
を思い出し自分も哲学していた。
真剣勝負をしている二人の哲学を読みながら、
いつのまにか自分も一緒になって哲学していたのだ。
この本は私のような50半ばの無学なおやじでも、
全く違和感なく入り込める深い内容なのだ。

「哲学者は悩みや苦しみを乗り越えた時に
新しい何かを発見する。
ぜひ彼女もそんな哲学者になってほしい。
否、きっとなれると思う。
ぜひ彼女の哲学本「第2巻」を出版してほしいと編集者にお願いしたい・・」
最後のページを読み終わりながらそんなことを感じた・・。





※この書評を初めてAmazonの書評に載せてみた。
彼女の人格を否定するような?
読んでいて辛くなる内容を投稿している人もいた。
彼女の初めての本なのにあまりにもひどい言葉・・・・。
最近のアイドルのことはよく知らないが
書評とはいえない内容に悲しくなった。

読書

 『ナチスと隕石仏像 SSチベット探検隊とアーリア神話』 浜本隆志著 (集英社新書)
を読み終える。
オカルト的な内容で謎学を解く知的興奮を味わうことができ面白かった。
次にYouTubeで雑誌『ムー』の常連作家飛鳥昭雄※の
「ヒトラーは今も生きている」
という内容の映像を見た。
今も生きているヒトラーの画像なんて
ショウガの太い根っこを加工した物にしか見えない。
確かにヒトラーは生きているが、
それは私たち人間の心の闇の中に存在しているのであって、
生身の人間としては自殺したのが本当だと思う。
世の中にはヒトラー以上に冷血で、
虐殺を正当化し実行させた権力者はたくさんいる。
スターリン・毛沢東・・・。
でもどうして日本ではヒトラーばかりがネタにされやすいのか不思議だ。
それはヒトラーの生き方と、
そのとっちゃんぼうやのようなスタイルのギャップにあるのかもしれない。
要するにギャグにしやすい要素がたくさんあるからだと思う。
今はこうしてヒトラーやナチスについて自由奔放にネタにして発表できるが
彼がヨーロッパを支配していた当時は絶対に不可能だっただろう。
だからこそヒトラーやムッソリーニの全盛時代、
その空気に否を唱え
命がけで『独裁者』という映画を制作したチャールズ・チャップリンは凄いと思う。

長くなったが、
今読んでいる本は
ハイデガー『存在と時間』入門 轟 孝夫著 (講談社現代新書) 
である。
存在について深く考察し悩み続けた哲学者ハイデカーには、
オカルト以上に引きつける何かがある。
たくさんの作家や学者達が彼に関する本を書いているが、
私が最高に素晴らしいと感じる新書は
同じ講談社現代新書から出版されている 
古東哲明氏の
『ハイデガー=存在神秘の哲学』
だ。
これは数多くある入門書ではない。
著者と読者の内面の気持ちが合一し、
不思議な読後感を感じさせる内容だった。。
「存在」の事実について一緒に体験できる
私が今一番薦めたい本でもある。

※この飛鳥昭雄という自称サイエンスエンターティナーは都市伝説漫画家兼作家でもある。
怖いのはそれを事実として発表しているので、
何も知らずに読む人は内容を批判せずに信じてしまいがちである。
昔ベストセラーになった
『ノストラダムスの大予言シリーズ』
を書いた作家五島勉氏(東北大学出身)と同様に話の展開の仕方が抜群にうまい。
しかも彼は漫画や写真(いかにも作り物とわかってしまう画像)を効果的に使用し、
読者をあっと思わせる。
モルモン教徒でもあり謎学を勉強しているが最初から結論は決まっている。
読んだ後は
「結局、何をこの人は言いたいのだろうか」
という気持ちになってしまう。
私も当初ものすごく熱中した。
(今は「ムー」的な内容にも慣れて、
客観的に考えられるようになり妄想的漫画の世界として楽しんでいるが・・)

『サン・オブ・ゴッド』を見た

梅雨が明けたと思ったら、
すぐに台風。
今年の夏は特に短く感じる。
でも涼しいと読書がはかどる。
昨日はイエス・キリストの映画
『サン・オブ・ゴッド』
のDVDをゲオでレンタルして鑑賞した。
評価は限りなくCに近いB
良いとも悪いとも言えない。
前に見た
『パッション』
同様に磔のシーンはリアルすぎて恐ろしくなった。
この場面を見ながら
(制作者は人間の罪の恐ろしさ等をこれでもかと表現し、全人類の罪のかわりに捧げ物になったイエスの愛を表現しようとしたのかもしれないが)
自分は不条理きわまる残酷さに対して、
父と慕う神にも見捨てられたイエスが滑稽で哀れに見えた。

かっこいい外面的なイエスの姿は感じたが、
内面の信念や哀しみが全然感じられなかった。
まるで若いアイドルがイエスを演じているように感じた。
また、
CGを使って撮影しているせいか画面全体が薄暗い。
登場する人たちが多いのにアップで撮影しているため、
見ていてとても疲れた。
しかし、
この映画の中に、
母マリアやマグダラのマリアが最後まで登場した点は評価したい。

私が素晴らしいと感じたイエスの映画は
『キング・オブ・キングス』
(1961年作品)ニコラス・レイ監督
である。
CG(コンピューターグラフィック)が使われていないスペクタル作品なのにとても心が洗われる。
特に「山上の垂訓」や「最後の晩餐」のシーンは流れる音楽の影響もあるかもしれないが、
自分もその場に参加しているような雰囲気を感じるのだ。
何度もそのシーンを見たくなり数年前にDVDも購入した。
今年はあの名作『ベン・ハー』までCGを使ってリメイクされ新作としてレンタルされていた。
がっかりするのが嫌で今のところ見る気はしない。
見る時は
ウイリアム・ワイラー監督
チャールトン・ヘストン主演の作品
とは別の作品として見た方がよいかもしれない。
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